フランス語と猫と映画のブログ(ブログ名変更しました 旧 ballon rouge)
昨日と今日と明日をつなぐために(このブログをはじめたわけ)
だいぶ前に、エマニュエル・ラボリの自伝を読んだことがある。
彼女はフランスの女優で、生まれつきの聾唖者でもあります。93年にはフランス演劇界の名誉でもあるモリエール賞の新人賞も獲得した実力派で、舞台のみならず、『ビヨンド・サイレンス』や『セプテンバー11』などの映画にも出演している人です。
その彼女が書いた本「Le cri de la mouette(かもめの叫び)」の中にこのような文がありました。
Les concepts les plus simples étaient encore plus mystérieux. Hier, demain, aujourd'hui. Mon cerveau fonctionnait au présent. Que voulaient dire le passé et l'avenir ?
Lorsque j'ai compris, à l'aide des signes, qu'hier était derrière moi, et demain devant moi, j'ai fait un bond fantastique.
これは長いパラグラフの中の一節なので、これだけ読んでもわからない部分があるのですが、要は、彼女が「言葉」というものに触れたときの驚きが書かれてあります。
“りんご”や“机”などのモノ的なものは言葉を知らなくてもわかります。触れてみればいいわけで、食べてみればいいわけです。
しかし“昨日”“今日”“明日”などの単純かつ概念的な言葉はどうやって理解したらよいのでしょう。
「過去」や「未来」とはどういうことだろう? 言葉を覚えるまで、頭のなかは常に「現在」だった、と彼女は書いています。つまり、言葉というものが、現在から過去へ、現在から未来へとつなぐ役割を担ったのだということであって、「時間」というものももしかして、この世の中に言葉というものができたときにはじめてできた概念かもしれないということ。
これはひじょうに興味深いことで、言い換えてみれば、“H”のことはよく知ってても“愛”は知らないという、よくいる輩のことを理性的に語っているようにもおもえます。そこで言葉が必要になるわけです。“H”と“愛”をつなげるために。「愛している」と言ってもいいでしょう。「まちがいだった」と言ってもいいとおもいます。
文章はこのあと、「耳の聞こえる人たちにとっては(この驚きは)想像しがたいことかもしれないけれど・・・」と続いています。想像しがたいというか、わたしはびっくりしたよ。こんなこと考えたことなかったし。
なじみある慣れた世界にどっぷり浸るのではなく、異なる世界を知るとおもしろいことがたくさんあります。
外国語を学ぶということは結局こういうことなんじゃないでしょうか。
それぞれの言語に文化があります。意思表示の仕方も国それぞれにちがうのです。また外国語を学ぶと、日本語が明確に見えてくる場合もあります。
言葉はいっときのものではなく、常に継続してゆくもの。
昨日覚えたことが今日につながり、そして明日へと拡がっていく。
そんなことぼんやり考えながらこのブログを作りました。
昨日と今日と明日をつなげるために。

彼女はフランスの女優で、生まれつきの聾唖者でもあります。93年にはフランス演劇界の名誉でもあるモリエール賞の新人賞も獲得した実力派で、舞台のみならず、『ビヨンド・サイレンス』や『セプテンバー11』などの映画にも出演している人です。
その彼女が書いた本「Le cri de la mouette(かもめの叫び)」の中にこのような文がありました。
Les concepts les plus simples étaient encore plus mystérieux. Hier, demain, aujourd'hui. Mon cerveau fonctionnait au présent. Que voulaient dire le passé et l'avenir ?
Lorsque j'ai compris, à l'aide des signes, qu'hier était derrière moi, et demain devant moi, j'ai fait un bond fantastique.
これは長いパラグラフの中の一節なので、これだけ読んでもわからない部分があるのですが、要は、彼女が「言葉」というものに触れたときの驚きが書かれてあります。
“りんご”や“机”などのモノ的なものは言葉を知らなくてもわかります。触れてみればいいわけで、食べてみればいいわけです。
しかし“昨日”“今日”“明日”などの単純かつ概念的な言葉はどうやって理解したらよいのでしょう。
「過去」や「未来」とはどういうことだろう? 言葉を覚えるまで、頭のなかは常に「現在」だった、と彼女は書いています。つまり、言葉というものが、現在から過去へ、現在から未来へとつなぐ役割を担ったのだということであって、「時間」というものももしかして、この世の中に言葉というものができたときにはじめてできた概念かもしれないということ。
これはひじょうに興味深いことで、言い換えてみれば、“H”のことはよく知ってても“愛”は知らないという、よくいる輩のことを理性的に語っているようにもおもえます。そこで言葉が必要になるわけです。“H”と“愛”をつなげるために。「愛している」と言ってもいいでしょう。「まちがいだった」と言ってもいいとおもいます。
文章はこのあと、「耳の聞こえる人たちにとっては(この驚きは)想像しがたいことかもしれないけれど・・・」と続いています。想像しがたいというか、わたしはびっくりしたよ。こんなこと考えたことなかったし。
なじみある慣れた世界にどっぷり浸るのではなく、異なる世界を知るとおもしろいことがたくさんあります。
外国語を学ぶということは結局こういうことなんじゃないでしょうか。
それぞれの言語に文化があります。意思表示の仕方も国それぞれにちがうのです。また外国語を学ぶと、日本語が明確に見えてくる場合もあります。
言葉はいっときのものではなく、常に継続してゆくもの。
昨日覚えたことが今日につながり、そして明日へと拡がっていく。
そんなことぼんやり考えながらこのブログを作りました。
昨日と今日と明日をつなげるために。

- かもめの叫び
- 角川書店 2000-06
| 2006/10/01 - 22h
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