仏製フィルムノワール:裏切りに技あり
フランス語はほぼ毎日のように接しているので、ここに書くこともたくさんあるようなのだがその実、改まって書こうとおもうとなかなかできない。
メモ書き程度の気づきは山ほどあって、それをちまちま書いていたらなんだかとりとめのないものになりそうだし(そもそもブログとはそういうものかもしれないが)、フランス語ネタだけでうまい具合いくかなというブログ立ち上げ当初のもくろみはなかなか達せず。いろいろ考えた結果、今年はちょっとテーマを決めて書いてみることにしました。

とりあえず最初は「仏製フィルムノワール」

わたしの好みをよく知ってる人は「きたか」とおもう人もいるかもしれませんが、そうです。きました。
普通フィルムノワールというと、32年の『暗黒街の顔役』を源流に40年代後半から50年代前半の、見ようによっては救いようのない退廃的な傾向のアメリカの犯罪映画のことを指すのですが(詳しくはこちら)、ここではそんなアメリカ映画のこと書くわけないので、ノワールはノワールでもこちらはフランス発フィルムノワールを中心に、製作年にこだわらず新旧とりあわせて、またフィルムノワールの定義にもこだわらず、言葉や映画の紹介、雑感、その他もろもろ、わたしの独断と偏見でくんずほぐれつ書いていきます。

まずは、わたしがおもうフィルムノワールの第一要素。「密告」

密告とは裏切りのこと。俗にいうチクリです。
今まで信じていた奴に裏切られる。仲間だとおもっていた奴が実は警察のいぬだった。私利私欲のために、または自分の身を案じて敵に寝返る。
女子供・ヤクザ・サラリーマン・人種国籍関係なく、人生長い間生きてきて人から裏切られることほど屈辱的なことはありません。
この「密告」を要素に入れた映画はおもいのほかたくさんあって、あのTVドラマ「24」でさえも話の核は密告です。登場人物みんな気のいい奴だったら「24」はいくらタイムリーな展開であったとしてもぜんぜんおもしろくないでしょう。誰が裏切り者か。それを知ったときの驚き。まさかあいつが!?という愉しみ。
「密告」は、話の展開を裏切ると同時に、観ているわたしたちをも裏切ってくれます。
これが快楽でなくて何が映画か。ちくしょう、あいつに裏切られた。こんな悔しい思いなくて人は大きくなれません。

Le corbeau afficheところで、フランス映画に『密告』という名そのまんまの題名の映画があります。
43年のアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの映画です。
ですがその題名にもかかわらずこの映画はフィルムノワールではありません(おい)
クルーゾーですからね。どちらかというとサスペンスに近いです。それもこの映画のなかでチクる奴は、裏切りというよりむしろ暴露に近く、あらゆる人に手紙を出して、とある人の中傷をしまくります。送られてくる手紙のその数たるや毎日何通もで、見ようによってはいささか陽気なチクリともいえなくもない。
果たしてこの題名の意味するものは?

この映画の原題は「LE CORBEAU(カラス)」
送られた手紙のサインに“カラス”とあったのでこの題名がついているのですが、フランス語で「カラス」には密告の意味はなく、むしろ、その黒く不気味な姿から連想して「不幸・死」を表わします。
つまりこの映画は、密告=裏切りを描いた映画ではなく、人の成功をねたんだ人間が、その人を不幸に陥れようと「よからぬ噂」をばらまいた人間の意地悪な面を描いた映画。
人間のねたみや、村や小さな町にありがちな噂で固められた不実、ゆがめられた真実。
人はかくもこう哀しく生きられるものか。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーならではのテーマですね。『情婦マノン』や『恐怖の報酬』のラストが目に浮かびます。

ちなみにこの映画、冒頭はこういう言葉ではじまります。
Une petite ville, ici ou ailleurs...
“どこにでもある小さな町…”と字幕がついていました。うまい訳だとおもいます。
つまりこの映画で描かれていることは時代をこえた普遍的な意味合いが強く、どこでも起こりうるお話だということですね。

「仏製フィルムノワール」初のエントリー。
ノワールな映画ではない映画の紹介からはじまりましたね。出だしは好調。こうやって皆さんの期待を裏切りながらフェイントかましつつやっていきますのでよろしくお願いします。
| 2007/01/29 - 14h | 仏製フィルムノワール | Comment (0) | この記事のURL |


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